20100515

君はわかっているはず。

※以下は昨年8月21日、転職活動ドン詰まりでメンタル状態が底を打った時に書いたまま公開しなかったエントリ。なんとなく今公開。

あんまりつらかったので、自分に向けて書いてみました。

まず大前提として、君はそのままで生きる価値がある。これは絶対だ。

ウワッ、なんかストレートな言い方過ぎて、この時点で眉唾な感じだけど、
鵜呑みにしなくていいから、とりあえずもう少し読み進めてみてくださいな。
可能な限りウソをつかないようにがんばるから。オレ、がんばるの嫌いなのに。
で、これはワリと信用できることが書いてあるかも、って思ったら、
なんかつらい時に、また読み返してみて。

苦しいときには忘れがちだけど、
君は今までに「幸せだ」とか、「幸せかも」って感じた瞬間が、一度はあるよね?
いつのことだったか具体的には思い出せないかもしれないけど。
そのフワッとした瞬間にはきっとわかっていたことだよね。
生きているだけでいいってこと。

生きる意味ってのはもしかしたら無いのかもしれないけど、決して無駄ではないよ。
生きる価値はあるんだよ。

価値ってなんだよ、っていうならば、ウソっぽい言い方かもしれないけど、
多分、君が生きているだけで誰かを幸せにしているってこと。
あぁ!これって、
いろんなところで言い尽くされてきたことだから逆に信用できないかもしれない!
しかしね、「幸せにしている」というと大げさかもしれないけど、
君がそこにいるだけで「ホッ」とする人は確実にいるよ。
あえて誰かとは言わないけどね。確実に誰とは言えなくても、なんとなく感じるでしょ?
その人はもしかしたらまだ直接会ったことない人かもしれないね。
あぁなんだかオレが大嫌いな宗教とか怪しいオカルトっぽい言い方になっちゃったけど、
なんとなくこの感覚わかるんじゃないかな。

まぁ言ってしまうと、それは未来の自分。なんかウソっぽい表現だけど。
そら、確実だろ?
もちろん君が生きているだけで、
家族や友人とか自分以外の誰かも確実に「ホッ」とするよ。
でも彼らだけじゃなくて、今、自分が生きているだけで未来の自分がホッとするって、
なんとなく納得できることだと思わない?無理?

だってさ、過去の自分を振り返って、
「なんでお前生きてきたんだよ!」って思う?
そりゃぁ「どうしようもない」とか「くだらない」とか「間違った」とか…
これまでの人生にいろいろ言いたいことはあるでしょうけども、
振り返るだけでもイヤだってこともあるかもしれないでしょうけども、
自分が過去に生きていたってことは、否定することじゃないよね。
だって今生きてるんだからさ。
少なくともこれまでは「オレよ、死んでくれ」ってことにはならなかったわけで。
むしろ過去の自分を振り返ってみたら「ご苦労さん」ってなとこじゃないだろうか。
大っ嫌いな自分でもさぁ。「マジお疲れ。」っていう。
上っ面だけでつらい過去を思い出すんじゃなくてさ、
無理にとは言わないが、ちょっとでもいいから自分のよかったところを辿ってみて。
なんかそうすると、取り急ぎ、今まで生きててありがとうかも、ってなんない?
「ありがとう」まで言えなくても、なんだか少しだけ「ホッ」としない?

まぁまぁそんなこと言ったって、ただ生きてるだけでもつらいよね。
それはね、幸せな時でもわかる。生きるのがつらいのは確実なことだよね。
でもね、突然だけど、できれば一日に一度でいいから笑いなよ。
そのほうが気持ちいいから、ってだけなんだけどさ。
一瞬の気休めにしかならない?
まぁある意味そうかもね。
でもぶっちゃけて言っちゃえば、
気休めみたいなもんがある程度連続した状態が、「幸せ」ってやつなんじゃないかな。
身も蓋も無いかもしれないけど、ウソを言うより落ち着けるからいいでしょう?
気休めが連続すると、日々のつらさが麻痺してくるんだ。
その麻酔が効いてるみたいな状態が「幸せ」。
あえて逆に言ってるから、残酷な言い方になってるだけで、
ストレスに起因する日々のつらさを作り出しているのは、自分だったりするからね。
どっちが思い込みや麻痺なのかってこと。
幸せを「つらさ」で麻痺させているのかもしれないぜ。

ここであえてまた言い方を変えると、
つらさが全くなくなっちゃうのも怖いけどさ。
下らん例えをすると、
鋭い物が当たっても痛みを感じなければ、
出血し過ぎて死ぬまで気づかないこともあるわけです。

あぁただ、もし今、食べる物にも困る状態なのなら、
「つらさ」を作り出しているのは自分云々とかじゃなくて物理的に危険な状態なので、
いろんな自尊心やプライドみたいなもんは、全てかなぐり捨てて、
徹底的にできることをして、頼れるもんを可能な限り頼ったほうがいいよ。
そりゃもう餓死しないようにがんばるしかないよ。
それは気をつけて。
今話しているのはストレスの話だからね。
こうやって考えてみると、決定的な「飢え」を経験しないことは、
それだけで幸せなんだろうな、ってことがよくわかる気がする。
想像でモノを言ってしまうと怒られてしまうけど、
飢えにプラスしてストレスが襲ってきたら、ちょっと耐えられないかもな。
でも、過去にギリギリの飢えを経験して生き残ってきた人たちがたくさんいることも確か。

ちょっと話が飛んだけど、君は我慢しないでいいよ。
我慢しないことが結構大切。
端的な例で言うと、男だろうが女だろうが、泣きたいときは泣いたほうがいい。
う~んこれを言うのは勇気がいるんだけどさ。
「しなきゃ」ではなく「したい」を最優先事項にしたほうがいいんだよ。
絶対そのほうが気持ちいい。

うんうん心配するのはよくわかるよ。重々承知。
でも怖がらなくても大丈夫。ウソじゃねぇから。
どうしてもしなきゃいけないことは、どの道ちゃんと君はやってしまうんだから。
なんだか変な言い方だけど、これも経験上、実は君もわかっているんじゃないかな?
後回しにしてたら、ギリギリになって焦ってやることになるかもしれないけど、
これまでもなんだかんだ言って間に合わせてきたような気がしないかい?
だったら、「したい」を優先してしまったほうが断然気持ちいいと思うんだけどなぁ。
まぁでも焦るのはイヤだよね。
ただ、これだけは声を大にして言わせて。
落ち着いてやれば全然間に合うことなのに、必要以上に焦るのはやめよう。
色んなことをできるだけ前倒したとしても、
絶対に後からまた新たに「しなきゃ」いけないことを思い出して焦ってしまうんだから。
だからあらゆることを、
最低限、取り急ぎ表向きの締め切り前日の23時59分59秒くらいまでには仕上げよう。
っていう意識でいよう。
締め切りってなんのことやらだけど、仕事とかだけじゃなくて人生全般締め切りギリギリまでにやれば誰も本気では怒らないってことだよ。
だからって、締め切りを自分で作りすぎて追い詰めすぎるのはやめとこう。

あ、あと余計なことまで書いてしまうと、
締め切り過ぎても間に合ったことって、全部じゃないけど今までにたくさんあるでしょ?
その奇跡の滑り込みをいつもあてにしてちゃダメだけど、心の保険として、頭の片隅にそのことを置いておこう。

それに、物理的に間に合わないことを除いては、
死んでしまうその瞬間までは、
実はいろんなことが間に合うんじゃないかと思うんだけど、
間違っているだろうか?
ちょっと甘すぎる考え方なのかもしれないけど、
間に合うかどうかを決めるのはマジで自分次第というか、
自分しかそれを判断する人はいないってことで。
決して「君が判断しろ!」って追い詰めているわけではなくて、
ギリギリまで思い詰めていても、ちょっとした気分の問題で、
自分を楽にするのは自分だったり、
そういうことを言いたいんです。

死ぬ寸前って、自分でわかったら、
物理的に絶対に間に合わないこともどうでもよくなるって話はまた別だ。

あ、男と女の関係においては決定的に間に合わないことは結構あるな。
これはしょうがない。
オレの経験不足で間違っているかもしれないけどね。

でね、そもそもその「したい」ことがねぇんだよ、とか、
「したい」ことがわからないんだよ、っていう状態もあると思う。
というかこれを書いているオレが今、その状態だ。つらい。
だけどね、これもまたレトリック(屁理屈みたいなもん)なのかもしれないけど、
今君がしていることが「したい」ことなんだよきっと。
えっと、別に煙に巻きたいわけじゃないんだ。
これは確かに難しい問題で、
よく誰かが「本当にやりたいこと」と言うような、
ちょっと怖いので今すぐには踏み出せないけど「実はこうしたい」ってのが
君の頭や心の中にもきっとあると思う。おぼろげかもしれないけどね。
だけど、その「実はこうしたい」ってことに振り回されなくてもいいと思うんだよ。
それはそういうものとしてとっておいて、
ある意味死ぬまで永遠に実行しなくてもいいんじゃないか、ってこと。
だってさ、今それに向かって「動けない」んじゃなくて
「動かない」だけなんだよ。君が能動的にしっかり選び取った結果として、
今、そうしているんだ。
皮肉じゃないよホントに。厳しいことを言いたいわけでもない。
寝ているだけかもしれない。世に言う「何もしてない」状態かもしれない。
(へっ、よく言うぜって思うけどね「何もしてない」状態なんて有り得ねぇのにな。)
でもそれだって、いやそれが、君がしたかったことなんだと思うよ。
誰も責めないよ。自信を持ってくれ。大丈夫だから。
大丈夫だという根拠はね、君が今その状態にあることに対して、
確実に焦りを感じているから。あぁ!こう書くとまた屁理屈だね!
でもこの焦りはね、「実はこうしたい」ってことに近づいている証拠なんだ。
動いているんだよ君は既に。
あとは、ゲロを吐きそうになるような無理なペースにしないで、
ジリジリでいいから、そこに迫るだけなんだ。
もちろん、さぁ、思いっきり動こう、と思えた時は存分に動けばいいだけの話。
ただそれだけなんだ。

そんなことわかっちゃいるけど、
なかなかそうも行かずに焦って悩んでしまうってのもよくわかる。
だけどこうやって文字にして読んでみると、自分の考えが整理できるでしょう?
(いまさらだけど、二重人格なのかなオレは?)

だから、決してあきらめないでくれ。
散々の繰り返しになるけど、「最後まであきらめなくてよかった!」という瞬間は、
君はもう腐るほど体験しているはずだ。わかるね?

こう考えてくるとね、結局重要なのはバランスなのかもなぁと思うんだ。
オレはバランスとるの下手なほうってのもあって、
バランスってあんまり好きな言葉じゃないんだけどね。
だってなんかうまくバランスとって生きてるやつって、
人間っぽくないっていうか、人間くさくないよね。
ところがね、人間くさくないのもそりゃそうなんだよ。
だってさ、バランスとれているように見える他者ってのも、実は偏っているわけで。
ここからは想像でしか言えないけど、
きっとオレから見たらバランスとれているように見える彼らも、
メッチャクチャ偏ってたり歪んでたりする自分の生き方に悩んでいるんだと思うよ。
ま、でもね、バランスとれているように見える人ってのは、
悩みながらも、同時にその自分の偏りや歪みを愛しているんじゃないかと思うけどね。
これは直感で。そういうのが顔に出てるんじゃないの?
それを潜在意識で羨ましく思っているオレがいるというわけ。
まぁ全員が全員、ここまでチマチマ言語化して悩んでいるかどうかは疑問です。

あ、そんでね、今まで書いたことでなんとなくわかると思うけど、
他人のせいにしないほうがいいってことが結構大切。
「自己責任」とか、そんな怖いことは言わないよ。イヤだよそんな怖いのはオレも。
そうすれば他人のことが必要以上に気にならないし、
必ず後悔しないってだけのことだよ。

とにかくね、自分のことを必要以上に責めちゃダメだ。
もしかして君は、今の状態を誰かに咎められていると感じていないかい?
いや、家族や友人に実際に言われている場合ってのはあるんだけど、それは大部分が自分に対する愛情からくるもんだ、って勝手にこっちで解釈すれば言いだけの話なんだ。
だけど、その誰か、ってのが「世の中」だったり、はたまた自分だったりする。
それってもしかしたら、いろんな又聞きの情報に触れすぎなのかもよ。
心当たりがあるんじゃないかな。
まだ見ぬ批判を捏造しなくてもいいんだよ。
君は間違ってないし悪くない。自分を卑下する必要はない。卑屈になる必要はないんだ。
暗示をかけるわけじゃないけど、こうでもしないと、
君は徹底的に自分を責め続けてしまう。
責めて責めて、責めることにも責められることにも疲れきってしまう。

またあえて逆から言うと、
実は自分を責めることは君にとっては正しいことだったんだけどね。
なぜって、君はそうやって自分を理想の状態にすべく、今日まで自分を高めてきたから。
誰にもわからない完璧な自分っていうヤツだ。ここはあえて皮肉だよ。
ちょっと正直すぎるからなんだけど、あ、臆病過ぎるとも言えるな。
他者から指摘されるズーッと前に、君は自己批判をして防衛してしまっていた。
専守防衛にもほどがあるってなもんだ。
過剰なほどに。何が過剰かというと、たまに行動する前に自己批判してしまっている点だ。
それはね、自分の頭の中に特高警察やゲシュタポを住まわせているようなもんなんだ。
民主主義の活発な議論が行われない国家が君の体内に宿っている。
語弊アリアリで言わせてもらえば、若干、全体主義的なんだね。
例えが妙に古いというかカタいのは勘弁してくれよな。
完璧なんて有り得ないのは、君が一番よく理解しているし、
君はどこかでその完璧じゃない自分を愛しているというのに。

オレは妥協をしろとは言いません。
だって、実はこの世に妥協なんてないと思うから。
「妥協しちゃった」と思っても、それはその時できた最高の判断なんだよ。
それはここまで読んでいる君ならわかると思う。
ちょっとだけ繰り返すと、「妥協しちゃった」という想いがあるからこそね。
だから、他者の行動に対しても、
「あれは妥協だ」とか勝手に勘違いしてシャットアウトしたり、
完全に切り捨ててはダメだよ。

そう、家族や友達を嫌な気分にさせちゃだめだ。
頼らなければいけないときは頼ってもいいけど。
まぁ君という存在そのものが既に他者を頼っているんだし。

多分ね、いろんな人が余計なことを言ってくるように思えるときがあるんだ。
みんなが互いに完璧に意思疎通できるほどの表現力や
受信感度のいいセンサーを持っているわけではないからさ。

社交辞令みたいなことで、気を使ってる風の優しい言葉みたいのかけてくるときがあるけど、あれが一番クるよね。なんかイヤなんだ。心が寂しくて寒風吹きすさぶ。人里はなれたところに連れて行かれて、真綿で首と肺を締め付けられる感じ。(どんなだ?)

でも、そんなイヤな感じにさせることを言っているのは、
自分が作り出した他者だということをお忘れなく。
できるだけよく解釈して、巧いこと自分に取り入れなければダメだ。

あぁあと、この歳にもなって、って恥ずかしがるのはナシね。
いっくら歳とっても「成長」しないのが人間だし、
頭の中での時間と表現を変えながら、死ぬまで子供のときのように悩むのが人間だから。
そんなこと、君が今まで出会った自分を含めた人間達を見てわかっていることでしょう?
他者のほうが頭よくて「大人」に見えるのは、
君が他者に対して敬意を持っている証拠だから、まぁいいっちゃぁいいんだけどね。
あんまり比べても意味ないってこともわかっているでしょう?

もうオレはこれを書いているだけで、落ち着いてきた感アリだ。
自己愛に満ちすぎた文章に、他者がみたらちょっと気持ち悪いんだろうなとは思うけど。
そうそう、何か思ったら口に出したり、相手がいなかったら、とりあえずでも書くべきだ。こんなに確実なことはないってくらいだね。
つらいときにはまず書いてみようよ。

それからさ、オレはこれを書く直前に久しぶりにタバコを吸ってみたよ。
ちょっとつらさが過ぎてしまって、何か落ち着くために効くモノはないかとね。
すがってみたわけだ。
リスクだけで得るものがないような気がして1年以上やめていたのにね。
でもやっぱりちょっと、そのおかげで落ち着いた。
よく言われる深呼吸の効果なのかもしれないけど、結果オーライ。

だからさ、何事も決め付けちゃわないで、
自分の都合のいいように臨機応変に解釈しようぜ。
タバコの件だけでこんな主張をするのは証拠不十分かもしれないけど、
ここに書いてあることだって、全部信用する必要は無いんだ。
今の君の腑に落ちるところだけ、持ってってくれれば。

無理にポジティブにならなくてもいいんだよ。オレも自己啓発みたいの大嫌いだよ。
なんかさ、ファナティック(狂信的)なモノは全部イヤだ。
そういうものは一切拒否してきた。
無論、例えば好きな音楽とかで熱狂する時とかあるけど、積極的に楽しむためにハイになることはあっても、逃げるためだけに自分の頭で考えないこと、つまり判断停止状態に陥ることだけは可能な限り避けてきた。
それだったら、まだ判断が下せないという判断を下したほうがマシだから。
オレは他者の人生を生きるのなんてまっぴらだからな。クソったれ。

そういう意味じゃ、オレは人生の白紙投票を何度も繰り返してきた。
それだけはとにかく自慢できる。これは結構勇気がいることだ。自分の芯の部分で確信がないとできない。
(あ、あれ?いつの間にか、オレと君が一体化していたね。久しぶり。この脳内会話、危ない気がしてきたけど、恐らく、心理学的なカウンセリングやセラピーを今、自分でやっているような状態なんだな。あまりにもつらくて止むを得ず自然に書き始めたことだけど、ここまで素直に書いていると、なんかの効果があったっぽい。膿を出した?ウンコを出した感じ。)
お、ちょっと自信の肥大化が急にはじまったね。
なんでもかんでも自信を持っちゃうことは、これまた逆に危険なこと。
特に、何でもできるという万能感(全能感)はダメ。
それはさっきまで自分が否定していたファナティックに陥るわけだ。
何でもできるわけじゃなくても、できることは多いかもしれないけどね。

何はともあれ、
ネガティブな状況をいかにポジティブに捉えられるか考えたほうが得だし楽だよ。

そして残念かもしれないけど、君は特別な存在ではない。ここ重要だよ。
しかし、それでいい。

とにかくね、オレは君のことを許すよ。全面的に。
ズーッと難しいことだと思っていたけど、ここまで書いてみたら簡単だった。
許すということがこんなに簡単だってことに感嘆だね。くだらないね!
この段落は、ちょっと勢いで書いてしまったね。

あぁまぁここまで長文を書いてまで言いたかったことは、
なるようにしかならねぇ、ってことだけなんだろうけどなぁ。

これ、Webで公開しようかと思ってたけど、
まさに「真夜中のラブレター」になってる。
退行化が激しくて恥ずかしいな。どうしようかな。
公開したら後悔しそう。


さぁ、
君はもうわかっているはず。

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最近思っていることが少し言い表せた気がするので、2週間ほど前にTwitterに連続でつぶやいたことをまとめておく。

浅はかな盲目的ポジティブ思考を嫌悪。ネガティブになれとは言わないが思考停止は成長を阻害する。ポジティブにさえなればいいという用意された「正答」から行動するのは本末転倒。逆に当人を潜在的に追い詰め空洞化させる。自分もそうかもだけど、どっかそういう空っぽさ、今の世の中蔓延してません?

いや、笑えさえすればいいし、人間なんて空っぽでいいんだけど、メリハリがない。フラットで薄ら。どっかの学者が「陰影のない時代」と言ってたのがいい得て妙。もしかしたら昭和にあって平成にないもの。

やはり二度の敗戦で父権が完全に失墜し家族の在り方が変わったからか。その状況が決定化した二度目の「経済敗戦」の際、我々世代が失ったと記憶しているものの奪還が、状況を好転させる鍵という実感があるが、この感覚をずっと言語化できない。個人的にもこれを具現化できず最近一つの関係を精算した。

アパシーな状態から脱却するために掴んだ藁が、デジタル、情報化という巨大な虚無だったワケだ。人間に依拠する解決を図らずにどんどん擬似的・バーチャルに、軽薄で空元気になっていった。

その結果はご存知の通り、直接に政治的でない分野でのアパシーな状態までを加速することになり、

そうして社会的な分裂と機能不全が進み、力を集中したダメージコントロールが不可能になった。国家、そう、国の家としてのありようが、ここにきて完全に破綻したのだ。さながら国家の家庭崩壊である。ついにリアルな経済生活に直接影響が強まり、逼迫してまたも無理矢理掴んだ藁が、今の民主党政権。

個人的にも最近家庭の構築フェイズ初期段階でしくじったため、極端に飛躍した「経世済民」のこじつけ話を垂れ流してしまった。家庭的なるものやコミュニティ、所謂絆や連帯感の実感としての奪還は、どう果たされるべきか、左翼的思想とは分離したプラクティカルな方法論として考えていく。

まあ、そんな「うざったい」繋がりを、もう誰も求めていないのかもしれないが。群島的、ノマド的な状態への社会のシフトは、実感出来ても俺個人としては寂し過ぎる。冷たい風が空洞化した胸を震わせちょります。

20100314

休むこと。

休日しっかり休むことは大切だ。
昨日久々に一人でゆっくり考えて、
自分が今与えられている立場、仕事の重要性を再認識。
入って日の浅い私を信頼し、期待してくれている会社の経営層や同僚に感謝や尊敬の念を改めて抱いた。

20100312

我慢するのをやめなさい。

全てはそこからはじまる。
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