20120104

しなやかに、選ぶ。

2012年の年明け。
なんだか文明・文化の死に立ち会ってる気分。
個人的な感傷や、震災や経済状況の心理的な影響もあるだろうが、
そういうレベルでなく。
もっと長いスパンで起きている緩やかな死が、
概念ではなく現実化しはじめている過渡期。
一つの死は一つの再生の機会だから、
決して悲観しているわけでもない。

よく「ビジョン」と言われるような未来像を描くことが、
今いろんな場所で求められている。
導く役目の人間が、
ビジョンとそれを具現化するミッションを提示することはもちろん、
誰もが自分の手で個々のビジョンとミッションをはっきりさせたいと渇望している。
どこにいけばいいのか、
自分と周りにどういう価値がもたらせるのか。もたらすべきなのか。
そんなに複雑に考えず、
自分がどうしたいか、ってところが見えていればそれだけなんだけど。
結構それが難しいので、先に借り物のビジョンとミッションを求めてしまう。

前はおぼろげでよかった。でも今はそうも言ってられない。
いつ死ぬかわからない、ということがなんとなくよくわかってきたし、
なんだか情報量だけ多くて、自分が消滅しかけてる。
あんまりみんな言葉にしないけど、そういう恐怖がうっすら蔓延してる。
肥大化し続けた「自分」が実はすんごいちっぽけな存在だと気付き始めた。
そんな感じ。

でもこれは、オトナになるいい機会かも。
データの洪水に翻弄されるのも、決して悪いことだけじゃないかもね。

ただ、宗教やマルチが流行りそう。いや実際流行ってて困る。
特定の宗派やサークルに入っていなくても、
概念として何かに入信してしまっていたり、
何かを布教してしまっていることに気付かない、そんな状態がそこかしこに。

本来、力をいい具合に拡散する作用を持つ、伝統の「禊」文化は、
主に経済成長とそれがもたらす身勝手な共同幻想というゆりかごの中で、
リセットボタンの役目ばかりになっていったんじゃないかと思う。
もう何がハレで何がケなのかよくわかっていないのに、みそいじゃう。
別にどこの宗教のまわしものでもないけど、
初詣がマストという考えに違和感があるのはそんなところ。

年末に、一部のテレビ番組とかが
震災を「振り返って」しまっていたけど、
あの時からずっと耐えて生き抜いている人たちは、放り出された気分ではないか。

そんな違和感を共有する人は、
喉元過ぎても忘れられない熱さに気づいている。
火傷を負ったから。もうひとごとではない。

全ては進行中。今までもこれからも。何も終わらない。

じゃあどうする?
ただ流されないことが善に思えてきてしまうけど、
もしかして柔軟に対応するしなやかさが大切なんじゃないだろうか。

優先度をつけた選択と集中。
仕事や事業では無論のことだが、個人としても、全てを選んでいく。
外部環境に左右されないとは、そういうことだろう。
拙速にではなく、時に合わさる、委ねる。時に立ち止まる。それを能動的に選ぶ。

ビジョンもミッションも、定型化・集約化はもうできなくなったから、
ノマド的思考。アドホックに。
自分を溶かして全体と均一化する前に、選択を。

I need to be myself. You need to be yourself.

だから、発信して話し続けよう。憂いやぼやきではなく、ソリューションを。

20111231

2011

結局、また移動中だ。
年越し、ギリギリまでどうするか決めかねていたが、なんとか今年中に実家に辿り着けそうだ。
以前、どこかに書いたが、独りの時は移動中が一番落ち着く。何もしていないようで、目的地に向かうという目的をしっかり果たしている瞬間の連続。もしかすると最も何かを考える時間。
西洋の暦で何かを区切るのは、何か型にはめられてしまうようで、しばらくどこか違和感があったが、そういう無駄な抵抗はそろそろやめて、振り返るものは振り返ろうか。

思えば、今年は固執から開放された年だった。

何かを諦めるのではなく、何が自分にとって大切なのか、選び、集中する。

表面的にロジカルである必要はない。心の芯が赴くところを、自分で選ぶ。難しいが、必ずできる。それを忘れない。

それを教えてくれた全てに、ありがとう。

20110716

シフト

広告やデザインは生活や身近な愛に勝てない、というような感覚を最近ジワジワと持つ。当たり前のことかな。ただ、広告とデザインは全く別のものだし、一切バカにするつもりはない。

歳のせいか欲するものが気持ちいい生活感のリズムや日々に愛情があるかということに収斂してきて、前ほど広告的なものやデザインに対して熱を感じなくなった。

お前はどう広告やデザインにコミットしてきたのか、という部分に諸兄は引っかかるだろう。デザインの根本は愛情だし、よいデザインはあらゆる分野で生活を心地よくする。何かを売るための広告だって、創り出す人々には誰かや自分の生活を快適にするために発信したいというポジティブな感情があるはず。

つまるところ、そういう感情を育んで伝える場へと自分と周囲を高められてこなかったという反省と、ある種の諦観があるのだろう。

だから、シフトする。諦めなくていいように。場を変えるのはきっかけであって、自分が成長するよりない。

バーやホテルの接客にずっと憧れのようなものがあるのは、ダイレクトにおもてなしを伝えることが出来、またコールアンドレスポンスがその場で感じられるからだろう。あらゆる表現のライブパフォーマンスにも同じものを感じる。制作物にしても静的な表現より、音や映像、インスタレーションに惹かれることが多いのは、作品に作家の憑依を感じて鑑賞の中にもコミュニケーションが活発だからだろう。よいと思える写真や絵画、グラフィックも、コミュニケーションを求めているんだきっと。
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