最近思っていることが少し言い表せた気がするので、2週間ほど前にTwitterに連続でつぶやいたことをまとめておく。
浅はかな盲目的ポジティブ思考を嫌悪。ネガティブになれとは言わないが思考停止は成長を阻害する。ポジティブにさえなればいいという用意された「正答」から行動するのは本末転倒。逆に当人を潜在的に追い詰め空洞化させる。自分もそうかもだけど、どっかそういう空っぽさ、今の世の中蔓延してません?
いや、笑えさえすればいいし、人間なんて空っぽでいいんだけど、メリハリがない。フラットで薄ら。どっかの学者が「陰影のない時代」と言ってたのがいい得て妙。もしかしたら昭和にあって平成にないもの。
やはり二度の敗戦で父権が完全に失墜し家族の在り方が変わったからか。その状況が決定化した二度目の「経済敗戦」の際、我々世代が失ったと記憶しているものの奪還が、状況を好転させる鍵という実感があるが、この感覚をずっと言語化できない。個人的にもこれを具現化できず最近一つの関係を精算した。
アパシーな状態から脱却するために掴んだ藁が、デジタル、情報化という巨大な虚無だったワケだ。人間に依拠する解決を図らずにどんどん擬似的・バーチャルに、軽薄で空元気になっていった。
その結果はご存知の通り、直接に政治的でない分野でのアパシーな状態までを加速することになり、
そうして社会的な分裂と機能不全が進み、力を集中したダメージコントロールが不可能になった。国家、そう、国の家としてのありようが、ここにきて完全に破綻したのだ。さながら国家の家庭崩壊である。ついにリアルな経済生活に直接影響が強まり、逼迫してまたも無理矢理掴んだ藁が、今の民主党政権。
個人的にも最近家庭の構築フェイズ初期段階でしくじったため、極端に飛躍した「経世済民」のこじつけ話を垂れ流してしまった。家庭的なるものやコミュニティ、所謂絆や連帯感の実感としての奪還は、どう果たされるべきか、左翼的思想とは分離したプラクティカルな方法論として考えていく。
まあ、そんな「うざったい」繋がりを、もう誰も求めていないのかもしれないが。群島的、ノマド的な状態への社会のシフトは、実感出来ても俺個人としては寂し過ぎる。冷たい風が空洞化した胸を震わせちょります。